恋に落ちて (文/山吹由沙様 絵/柊モカ)




それは、今から2ヶ月ほど前のこと―――。





「家庭教師・・・ですの?」

「あぁ、私の古くからの友人にパトリックという男がいるだが・・・」

「その方がわたしくの家庭教師を?」

「いやいや。頼んだのは、やつの息子の方にだ」





ある昼下がりの午後だった。

いつものようにクライン邸のテラスにて父、シーゲルとお茶をしていたときのこと。

おもむろに口を開いた父が提案したのは、来年の冬に受験を控えている自分に家庭教師をつけるという内容だった。

そうは言ってもラクスはもともと頭が良く、成績が悪いわけではない。

だが人には誰しも苦手科目というものが存在する。いくら成績の良いラクスであってもそれは例外ではない。

昔から本を読むことが好きだったラクスは文系科目はお手の物。

けれどその一方で、理系科目に関してはあまり得意とはいえなかったのだ。





「やつの息子は理系出身だそうだ。アルバイトを探していたらしく、丁度いいと思ったのだよ」



白い湯気の上がる紅茶を一口。

それからカチャッと小さな音を立てカップを置くと、シーゲルは娘に再度尋ねる。



「どうだね、ラクス。頼んでみるかい?もちろんお前が嫌だというならこの話は無かったことにするが・・・」

「いいえ、お父様。わたくし一人では限度がありますし、是非お願いしたいですわ」

「そうか。ならばすぐに連絡しておこう」

「はい」









そんな会話をしてから一週間後。早くも一回目の授業の日がやってきた。

といっても、この日はお互い初対面。

顔合わせも兼ねて今後の日程や時間帯、授業の進め方についての話し合いの日だった。



ラクスがいつものように机へ向かっていると、来客を知らせるチャイムが鳴った。おそらく彼が来たのだ。

少しして玄関の方から自分を呼ぶシーゲルの声。

「今、参りますわー」

そう返事をして椅子から立ち上がると、ラクスは自室を出た。

スリッパの音をパタパタと響かせながら、小走りで廊下を抜け階段を下りる。

視線の先にシーゲルの姿を捉え、駆け寄ろうとした―――次の瞬間。





父の後ろから姿を現した青年に、ラクスの動きが止まった。





色鮮やかな藍の髪



美しい翡翠色の瞳



容姿端麗な佇まい



そして





「―――君が、ラクスさん・・・・?」





低音でありながら  優しさを含んだ声

名を呼ばれたことに、ドクン・・・と胸が高鳴りを覚えた。



「ラクス、何をしている。こちらへ来なさい」

「・・っ!はい・・・」

父の声に我に返ったラクスはゆっくりと歩み寄る。その間も胸は早鐘を打っていた。



「この子が娘のラクスだ。来年の冬までよろしく頼むよ、“アスラン”」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

礼儀正しい受け答えを聞きながら、ラクスはアスランと呼ばれた目の前の青年を見つめていた。



男性を見て、こんな気持ちになるのは初めてだ。

まるで囚われてしまったように目を動かすことが出来ない。

そして先ほどから止まらない胸の高鳴り。

これは何?一体自分はどうしたというのだろう。



するとその視線を感じたのか、それまで父に向いていた瞳がスッとこちらに向けられた。そして・・・



「初めまして、アスラン・ザラです」





それが、アスランとラクスの初めての出会いだった―――。


















その日を境に、ラクスの様子が少しずつ変化していった。

家庭教師の彼が家に来るのは週に二度。その曜日になるとラクスは朝から気持ちが高まっていた。

「アリスさん、どこかおかしなところはありませんか?」

「いいえ。大丈夫ですよ、ラクス様」

「本当に?」

「えぇ、もちろんです」

普段からラクスの相談役にもなっているアリスは、そんなラクスににっこり笑みを向けた。



彼女はラクスが幼い頃からここクライン邸に勤めている専属メイドである。

ラクスは出会った頃から礼儀作法のきちんと出来た子供であった。

誰にでも隔たりなく接する様、丁寧な言葉遣い、心優しき少女、それがラクスだ。

どこをとっても同じ年頃の子達に比べれば、実に大人びていた。



そんな少女が今はどうだ。

鏡の前で髪型を気にしたり、服に関しても何着も合わせてみたり。

試行錯誤を繰り返す様子は実に微笑ましかった。

こんなことをする理由はたった一つしかないのだが、おそらく本人にその自覚は無い。





ピーンポーン



来客を知らせるチャイムが鳴ると、ラクスは顔を上げパァッと表情が明るくなる。

「アリスさん」

「きっとアスラン様ですわ。ラクス様、出ていただけますか?」

「はいっ!」

いつの頃からか彼を出迎えるのはラクスの日課となっていた。

そして今日も、嬉しそうに部屋を出ていく背中をアリスは見送ったのだった。







階段を下り、玄関に到着したラクスは躊躇うことなくドアを開けた。

そこにいたのは間違いなく思い浮かべていた人。笑みが一層深まる。


「こんにちは、ラクス」

「こんにちは、先生。どうぞ、上がってくださいな」

「では、お邪魔します」











勉強は必ずラクスの部屋で行う。

広いリビングで行うことも考えたのだが、そうなると教科書や参考書を持ち運ばなくてはならない。

万が一、足りないものがあれば部屋に取りに行かなければならないし、それでは手間もかかるし時間も惜しい。

ならば静かで風通しも良いラクスの部屋で行う方が勉強も捗るということで結論に至った。



静かな部屋に、時を刻む時計とペンを走らせる音のみが響く。

しばらくしてペンの音が止むと、ラクスの顔が斜め後ろを振り返る。



「出来ましたわ」

「あぁ、見せてくれる?」





テキストから目を離し、ラクスの手元を確認するアスラン。

公式を利用し、式を見立て、計算の仕方が合っているかをチェックされる。

その時間はラクスにとって緊張の一瞬でもあった。



やがて、フッと笑みを浮かべた彼がレンズ越しに柔らかい眼差しをくれた。

「正解」

「本当ですか!?どこも間違ってはおりませんか?」

「合ってるよ。君は覚えがいいから、教え甲斐がある」

そう言われ、ラクスは頬を薄っすら染めて嬉しそうに笑った。



たとえ勉強が目的であっても、ラクスにとって彼と過ごす時間はとても楽しいもの。

アスランに褒められることが嬉しかったラクスは、今まで以上に努力を重ねた。

実際、彼の教え方が上手かったこともあり、これまで苦戦していた数学や化学もすんなり理解できた。

そうした結果、定期試験や模試では着実に成績を伸ばしていったのだ。



幸せな時間はまだまだ続くと思っていた。





だが、





それを打ち砕いたのは、たった一本の電話・・・。







ブブブ・・・ブブブ・・・



マナーモードにしていたアスランの携帯が室内に響く。

勉強中、彼宛てにメールが届くのは初めてではないため、ラクスは特に気にすることなくペンを走らせた。しかし・・・

「ちょっとごめん、続けてて」

スクリーンに表示された名前を見たアスランが携帯を持って部屋を出て行った。

こんなことは初めてだ。



「・・・先生・・・?」


どこか慌てているように見えたのは気のせいだろうか。

アスランの様子に疑問を抱いたラクスは、席を離れ、何の疑いもせずドアの隙間から廊下を覗き込む。

そこには小声で通話をしている彼がいた。けれど、静まり返った廊下ではあまり意味を成さない。



「わざわざ電話してくるなんて、何かあったのか・・・?」

当然相手の声は聞こえないため、何を話しているのかまでは分からない。

けれど、彼の表情はいつになく真剣なものだった。



「・・・あぁ・・・・うん・・・・それで・・・?」



(・・・先生の、お友達でしょうか・・・?)



「・・・いや、けどそれでは・・・・」



(それとも、ご家族の方・・・・?)



そんな思いを巡らせながら、ラクスはふと我に返る。

自分は一体何をしてるのだ。勉強を続けるよう言われたのに、こんな風に盗み聞きなんて・・・。

(先生に見つかったら大変ですわ)

気にしすぎだろう。自分に言い聞かせ机に戻ろうとした―――その時。



「・・・泣いてるのか?“ルナマリア”」



ドクン



届いた声に、空色の瞳は見開かれた。



「悪いが、すぐには行けない。今バイト中なんだ」



足が竦んで動けない。



「終わったら行くから・・・・あぁ、それじゃ」



ルナマリアという人物が誰なのかは知らない。

けれど明らかなことが一つあって、それは女性の名であるということ。

でもそれが何だというのだ。彼の口から女性の名が出ただけ。それだけなのに・・・・



何故こんなにも気持ちが揺らぐのか―――分からない。





「・・・ラクス?」

ビクッと肩を震わせて振り返れば、不思議そうな顔をしたアスランが立っていた。

「どうかしたのか?」

「・・っ、い、いえ・・・あの・・・そろそろ休憩なさいませんか?」

「え?あぁ、別に構わないが・・・」

「では、すぐにお茶を用意しますわ・・・!」

そう言うとラクスは逃げるようにしてその場を離れた。















「では、また来週」

「はい・・・」

「今日はこれで失礼します。クライン議長にもよろしくお伝え下さい」

「かしこまりました。お気をつけてお帰り下さい」



勉強を終えてアスランが帰宅するのをラクスとアリスが見送る。

門を出た彼を窓越しから目で追っていたラクス。だが、気がつくと玄関に向かって駆け出していた。

「ラクス様?どちらへ?」

玄関で靴に履き替えている彼女を見つけ、アリスが問いかける。すると、

「ちょっと出かけて参ります。すぐ戻りますから、心配しないで下さいな」

そう告げて、ラクスは呼び止めるアリスをよそに邸を後にした。





それはまるで何かに導かれるような感覚だった。

アスランが向かった方角へ自分も急いで向かう。

先ほどの電話で、これからルナマリアという人物に会うような会話をしていた。

一体誰なのか、アスランとはどういう関係なのか。
そればかりが脳裏を渦巻いて、正直、休憩後はあまり勉強に集中出来ないでいた。

はっきりさせたい。そうすれば、この不安定な気持ちも落ち着いてまたいつも通りの自分に戻れるはず。



恋愛の経験がないラクスは、勝手にそう思い込んでいた・・・・。





少しして、アスランの後ろ姿を捉えたラクスは進む速度を落とした。

気づかれないよう慎重に歩みを進め後をつける。今更、後戻りは出来ない。

(きっと、先生のお友達ですわ・・・・そうに違いありません・・・・)

そう思って角を曲がった瞬間、ラクスに衝撃を与える光景が待ち受けていた。



「ルナマリア!」



アスランの声が聞こえその先に視線を向けると、公園のベンチに腰掛けていた女性が顔を上げた。

赤いショートヘアの彼女は彼と同い年くらいだろうか。

特別お洒落な格好をしているわけではないが、パンツスタイルは彼女の体形の良さが際立つ。

自分よりも年上で、綺麗な人であることは間違いなかった。



彼女はベンチから立ち上がり、歩み寄ってきたアスランと何か話している。

ここからでは何を言っているのか聞き取れない。

ラクスの鼓動は高まり、緊張の面持ちで二人の様子を伺った。そして次の瞬間・・・・





「・・・っ!!」





声が出なかった。

ルナマリアが泣きながらアスランの胸へ顔を埋める。

そんな彼女を慰めるように、髪を優しく撫でているアスラン。



その様子は親密そうで、とても“ただの友人関係”とは思えなかった・・・・。





そして、





目の前の光景に耐え切れなくなったラクスは、





無意識のうちに、その場から駆け出していた―――・・・・。














その後、自分がどこをどう走ったのか覚えていない。

でも帰る場所は決まっていて、ようやく立ち止まったのはクライン邸の玄関に駆け込んだ時だった。

「ラクス様!?どうなされたのですか!?」

戻ってきたことにいち早く気づいたのもやはりアリス。

下を向いたまま動かないラクスを見て、驚きながらも心配そうに近づいた。

「ラクス様・・・?」

再びそっと声をかけると、伏していた顔をゆっくりと上げる。



空色の瞳からは大粒の涙が零れていた・・・。



「・・っ、ラクス様?!」

「・・・アリス・・・さん・・・っ!」

目を見開くアリスに対して、ラクスは縋るよう彼女の胸に飛び込んだのだった。







自分の部屋へと戻り、アリスが淹れてくれた紅茶を飲みながら少しずつ落ち着きを取り戻したラクス。

そこで遠慮がちに訳を尋ねてきたアリスに、今日の出来事を話して聞かせた。

アスランが自分ではない女性と話しているのに戸惑ったこと。

実際に二人が一緒にいるところを見てショックを受けたこと。

異性に対してこんな気持ちを抱くのは初めてで、自分でも動揺していること。

「わたくしは・・・・一体どうしてしまったのでしょうか・・・・」

そんなラクスの思いをアリスは黙って聞いていたが、しばらくして微笑みながら優しく語りかけてきた。



「ラクス様。異性に対してそのようなお気持ちを抱くのは、誰にでもあることですよ」

「・・・本当ですの・・・?」

「はい。もちろん私にも経験があります」

「まぁ、アリスさんも・・・?」

「えぇ。誰かを想って気持ちが揺らいでしまう、その人のことばかり考えてしまう、それは“恋”ですわ」

「・・・恋・・・?」



首を傾げるラクスに、アリスは内心「やはり・・・」と呟く。



「今のラクス様のように、誰でも初めて人に恋をしたときは戸惑うのです」

「・・・・・」

「そしてラクス様は、彼がいないときでもアスラン様のことを考えてはおられませんか?」

「・・・考えて、おりますわ・・・」



言われてみれば、確かに自分はふと彼のこと考えているときがある。



「アスラン様がいらっしゃる日は、とても嬉しくなりませんか?」
「・・・なりますわ・・・」



彼が来る日は朝から気持ちが高まって、共に過ごす時間は幸せで・・・。



「もっと一緒にいたい、そうお思いになったことは?」

「・・・はい、ありますわ・・・」



帰ってしまうときが一番寂しくて、もっとずっと一緒にいられたら・・・そんな風に思うことが多々あった。

では、これが・・・?



「恋・・・・わたくしが、先生に・・・?」

「きっとそうですよ」

「・・・でも、これからどうしたら良いのでしょう・・・」

「アスラン様に、お気持ちを伝えてみてはいかがですか?」

「・・っ、そんな・・・出来ませんわ・・・!

先生には、恋人がいらっしゃいました・・・わたくしの気持ちなど・・・ご迷惑になるだけです・・・」

「ラクス様・・・・」

「・・・ですが、この思いが何か分かって少し気持ちが楽になりましたわ」



ご相談に乗って下さってありがとうございました。

ラクスはにっこりと笑って言ったが、どこか無理をしているように思えて仕方なかった。

だが一度こうして笑みを浮かべてしまうと、ラクスは「大丈夫」の一言で弱みを見せようとはしなくなる。

これまでの経験上、それは安易に予想がついた。だからこれ以上は何もしてやれない。

でも、彼女には無理をしないで笑ってもらいたい。だから・・・・





「ラクス様、私から一つだけアドバイスをさせて下さい」

















それから月日は流れ、季節は冬へと移り変わり、いよいよ迎えた受験シーズン。

周りの受験生が試験を受け始める中、ついにラクスの第一志望である「エターナル女学院」の試験が明日へと迫っていた。

暖房の効いた暖かい部屋で、アスランが作った最後の確認テストに挑んだラクス。

その結果、苦手意識のあった理系科目でほぼ満点の成果を出せるまでに学力が伸びていた。



「これなら明日の試験も大丈夫だろう」

「ありがとうございます」

「・・・ラクス」

「はい?」

「――今まで、よく頑張ったな」



そう言ってピンクの髪を優しく撫でられた。

一瞬、あの日アスランが彼女にしていた仕草と重なり胸が痛んだが、それでも褒められたことに代わりはない。

「・・・先生、子ども扱いしないで下さいませ」

そんなこと思ってはいないけれど、あえて口にしてみる。そうすれば、

「子ども扱いなんてしてないよ」

そう言って彼は笑うから。





その優しい眼差しと微笑に、幾度も惹かれた―――。





「本当に?」

「あぁ、本当だ」

「・・・では、これも受け取って下さいますか?」



ラクスは用意していたものをそっと彼に差し出した。

綺麗にラッピングされた包みの中身は、手作りのチョコレート。



「これは?」

「もうすぐバレンタインですから、今までのお礼も込めて作りましたの」



受け取って、下さいませんか・・・?

そう言って不安げな表情で彼の様子を伺う。

するとはじめは驚いていたアスランも、そういうことか、と納得したのか手を差し伸べ受け取ってくれた。



「ありがとう。嬉しいよ」

「いいえ、お礼を申し上げるのはわたくしの方ですもの」

「実は、俺からも一つラクスに渡すものがある」

「えっ・・・?」

「手、出して」



予想もしていなかったことにラクスは目を丸くした。

何だろう・・・と、内心ドキドキしながら待っていると、やがて手のひらに乗せられたのは一本のシャーペンだった。



「?」

「ホントに大したものじゃないんだが、それは俺が受験の時に使ってたやつなんだ」

「まぁ、先生が?」

「一応それ使って受かってるから、縁かつぎじゃないがこういう時くらいはいいかと思って」

「これ・・・頂けるのですか・・・?」

「あぁ、もちろんいらなければ捨ててくれても・・・」

「そんなっ・・・!嬉しいですわ、ありがとうございます!」



手のひらのシャーペンを握り締め、ラクスはお礼を述べた。

たった一本の小さなものだけど、彼がわたくしのことを考えて持ってきてくれた。

そう思うとラクスの胸はいっぱいになり、大げさだと言われるかもしれないが泣きそうなくらい嬉しかった。





「では、俺はこれで。明日、応援してるから」

「先生。玄関までお見送りを・・・」

「いいよ。今日はもうゆっくり休んで」

自分の後について来ようとするラクスを部屋の前でやんわりと止める。

しゅん・・・と、どこか残念そうなラクスにアスランは苦笑すると、手を伸ばしラクスの頬にそっと触れた。

「・・・先生?」

「そんな顔をして、まるで小さな子供だな」

「っ、わたくしは・・・!」





「嘘だよ」





その時、彼が見せた表情(かお)は今までと何かが違った



ドクン・・・と、胸が大きく高鳴る





「君は綺麗だ、ラクス―――」





その言葉を残してアスランは部屋から出ていった。

口元に手を当て、カァッと赤く染まった頬は熱が引きそうにない。







『―――君が、ラクスさん・・・・?』



初めて会ったあの日  わたくしは恋に落ちた



『君は覚えがいいから、教え甲斐がある』



彼の一言一言が心に響いて  それが心地よくて



『・・・泣いてるのか?ルナマリア』



それでも  何度も諦めようとした  迷惑をかけたくなかったから





なのに―――・・・・!!!





『君は綺麗だ、ラクス―――』







バンッ、とドアを開きラクスは走った。

廊下を抜け、階段を下り、まっすぐ玄関に向かう。

もう駄目だった。これ以上抑え切れなかった。あんな風に言われて、抑えていられるはずがない。



いつの日か、アリスの言ったことが脳裏を過る。





「・・・っ、先生―――!!!」





「ラクス・・・?」

振り返ったアスランの胸にラクスは飛び込んできた。

突然のことにさすがのアスランも驚き、衝撃で持っていた鞄が床に落ちる。



「・・・ラク、ス・・・?」

「先生・・・っ、先生・・・!!」

「どうした・・・?何か、あったのか?」

「・・・本当は・・・本当は、ずっと言わないつもりでいました・・・っ」

「え・・・?」

「ご迷惑になると・・・分かっています・・・っ、恋人がいらっしゃることも・・・存じています・・・・」





『ラクス様、私から一つだけアドバイスをさせて下さい』





「でも・・・っ、先ほどのチョコは・・・・本命ですわ・・・っ」





“どうしても伝えたくなったときは、ご自分の気持ちに素直になって下さいね”





「わたくしは・・・っ、先生のことが好きです―――っ!!」





















それから1ヶ月が過ぎた、三月中旬。

気候調整されたプラントに桜が舞うこの良き日に、ラクスは三年間通いつめた学校を無事卒業した。

そして数日前に合格発表も迎え、ラクスは見事第一志望であった「エターナル学園」に合格していた。



卒業式を終え、クラスメイトと記念撮影をしていたときのこと。

何気なく窓から外を見たラクスの目に飛び込んできた人物、その姿に思わず息を呑んだ。そして、

「ごめんなさい、わたくしちょっと行って参りますわ」

そう言って教室を飛び出したラクスは、わき目も振らず正門に向かった。



桜舞い散る最中、垣間見たもの。

見間違えるはずがない。花びらの中で、一際映える藍の色彩―――。



「・・・っ、先生!!」



「ラクス」



彼は変わらぬ笑みでラクスの名を口にした。

「卒業、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「それから受験も、合格おめでとう」

「先生のおかげですわ。本当にありがとうございました」

「それと、もう一つ」

「?」



「一ヶ月前の返事を、させてほしい」



「!!」





一ヶ月前の受験前日、自分の思いを抑え切れなくなったラクスはアスランに告白した。

その際、困惑していたアスランに対してラクスはこう言ったのだ。

『返事はいりません。ただ、わたくしの気持ちを知って頂きたかったのです』、と・・・。

だから返事は必要ない。それに、受け入れてもらえないことは始めから分かっているから。



「先生・・・それは・・・」

「ただ、その前に一つ誤解を解いておきたい」

「誤解・・・?」

「君はあの時“俺に恋人がいる”と言っていたが、俺にそんな人はいない」

「っ、嘘ですわ・・・だって・・・あの方がそうなのでしょう・・・?」

「あの方?」

「・・・以前、電話で話されていた・・・ルナマリアさんという方ですわ・・・」

「ルナマリア?」



ラクスの口から出てきた名に驚いたのはアスランの方だった。



「何故そこにルナマリアが出てくるんだ?」

「・・・・わたくし、見てしまいましたの・・・・」

「見た?何を?」

「・・・お二人が会っていらして、その際に泣いていたあの方を・・・先生が・・・」

「泣いて・・・?・・・あぁ、そういえばそんなこともあったか・・・」



言われて思い出した、そんな口調のアスランにラクスは首を傾げる。

そんな彼女の様子にアスランはルナマリアとの関係を話し始めた。



「彼女、ルナマリア・ホークは同じ学部の後輩だ。

君が言ってるのはおそらく半年ほど前のことだろうが、当時彼女には片思いしてる人がいた」



「・・・えっ・・・?」



「よく相談を持ちかけられたんだが、俺はそんなに恋愛経験が豊富でもない。

アドバイスしてやれることなんてなかったが、とりあえず話はいつも聞いてあげてた」



「・・・・・」



「一度、君の家にいるとき電話がかかってきたことがあったが、あの時彼女は告白して振られた直後だった。

けど、それからしばらくして今度は相手から告白を受けて今は上手くいってるよ。つまり・・・」



俺と彼女は何の関係もない。あるのは、ただの友人ということだけ。アスランはそう言った。

対してラクスは、口元に手を沿え信じられないといった目で見つめている。



「じゃあ・・・先生、は・・・」

「君が学校を卒業したら言うつもりでいたんだが、結果的に先を越されたな」



苦笑しながらも、ピンクの髪を指に絡めその先にそっと唇を寄せる。そして・・・





「―――俺も好きだよ、ラクス」





「!!」





ずっとずっと聞きたかった言葉。でも一生聞けないと思っていた言葉。

空色の瞳に雫が滲み、視界が歪んだ。

「本当に・・・っ、本当ですの・・・?」

「俺は嘘は言わない」

「でも・・・っ」

「俺の言うことが信じられない?」

「そ、そんなことありません!本当に・・・凄く、嬉しいですわ・・・」

満面の笑みを浮かべたラクスにアスランも微笑んだ。

これからも、ずっと一緒にいられるのですね・・・。

そう思うと、ラクスの心はこれまでにないほど幸せに満ち溢れていた。







「ラクスー!」



校舎から聞こえてきた声にラクスが振り返ると、クラスメイト数人がこちらに向かって手招きをしている。

「はーい、何ですのー?」

「キラがぁー!あんたに話があるんだってぇー!」

それと同時に皆がヒュー♪ヒュー♪などと言ってその場に居るキラを茶化している。

この展開はどう考えても目的は一つ。だが、ラクスは全くそのことに気づいていない。

「お話?一体なんでしょう・・・?」

「早く来てぇー!」

「はーい!・・・先生、ちょっと行って参りますわ」

ラクスはそう告げると、くるりと背を向け駆け出そうとした―――瞬間。





「・・・ラクス」







グイッと腕を引かれたかと思えば、目の前に広がった端麗な顔。

吸い込まれそうなほど近くにある翡翠。

そして唇に感じた柔らかい感触。全てが一瞬のことで訳が分からなかった。



「・・・先、生・・・・」

そっと離れると、ラクスは目を丸くして呆然としている。その様子にアスランは再び苦笑した。

「全く君はどうしてそう・・・、まぁ、そこが君のいいところでもあるんだが・・・」

「・・・・あの・・・・わた、くし・・・・」

「その様子だと、キスも初めて?」

唇に指を沿え尋ねると、ラクスは頬を染めてコクンと頷いた。

ちらりと校舎に目を向ければ、こちらの様子を見て生徒が騒いでいるのが見える。

アスランの口端がわずかに上がった。



「近くにエレカを停めてある。これから出かけないか?」

「は、はい・・・ですが、今呼ばれて・・・」

「行かせるわけないだろ?」

「えっ・・・?」



華奢な体をグッと引き寄せ、アスランはラクスを捕らえた。



君はもう俺のものだ。誰にも渡しはしないし、離すつもりもない。

俺としてもだいぶ我慢してきたんだ。もう少し、こっちを見てくれてもいいんじゃないか?





君を





他のやつのところへなんか行かせない





「・・・せ・・・んせ・・・・」

「その“先生”っていうのも禁止だ。俺はもう、君の先生じゃない」

「・・・・で、ですが・・・・」



俺はニヤリと笑みを浮かべて、彼女の耳元に唇を寄せる





さぁ  ラクス







「―――“アスラン”って呼んでごらん・・・・?」